せかいのはしっこ-協力隊員日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動中。講演会の依頼もブログのコメント欄から引き受けております。

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二本松訓練所と3.11の震災

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こんにちはっ。らふです(・_・)

「二本松訓練所と3.11の震災」

 

今回は写真はなしで。
代表的に取り上げられるものはありません。
取り上げる側と、取り上げられる側に思いのズレ、対立があることを知ったから。


2011.3.11
当時高校生の私は、京都におり
全く揺れを感じませんでした。

 

少し日にちが経ってから
ボランティアに行きたいと思い続けて数年。。

 

長期ボランティアに行き
仮設住宅に住みながら活動する日々。

 

所属した団体の理事長が震災経験者
当時動画も回されながら、逃げられる姿を
撮影した場所で拝見し、

 

https://youtu.be/trw-wfvt7E8

 

人生初めて、全身が痺れ、身体が小刻みに震えました。
この感覚は、東日本大震災に関連するときにだけ起こる不思議な現象。
3.11の黙祷をする度、また、被災地へ訪れる度
あの震えがわたしの身におきます。

 

そのあと、何度も短期ボランティアではありますが
足を運び、様々な場所を回らせていただきました。

 

釜石、鵜住居、大槌、大船渡、陸前高田、遠野、石巻、女川、雄勝地区…。

 

今回、3次隊として訓練が1/7~3/16まであったため、
ちょうど3.11の日に東北滞在と重なり
当日は、国旗掲揚も半旗掲揚。

 

ちょうど最終試験日でしたが

試験中、震災の起きた時間に黙祷のアナウンス。

タイミングよく東北に滞在していたためか、涙が流れました。

 
訓練所も震災当時は、避難場所として多くの人に利用していただいたとか。

 

また、訓練中、希望者は丸一日を使い、福島県の震災学習に行けることに

 

飯館村道の駅までい館
南相馬市防災センター
道の駅南相馬
浪江町/双葉町/大熊町6号線(国道6号線帰還困難区域)
東京電力廃炉資料館
双葉31号車パトカー 殉職2名
福島県楢葉町
-天神岬(津波防災対策viewpoint)
-J-village
-ならはCANvas(災害公営住宅、コンパクトタウン)

 

2020年の時に思ったことは下記。(当時の私の記録を一部抜粋)
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9年経とうとし、新たな町へ生まれ変わっている地域もあれば
9年前の震災が起こる直前で止まっているかのように見える所も。
絶句でした。
それと同時に、「人」支えあってできていると痛感。
人の受け入れ、物資の受け入れ、調達。

 

震災当時私は何をしていたのだろうか。
何を感じていたのだろうか。
どうしようと思っていたのか。
同じ日本国民として考えられていたのだろうか。

 

帰還困難区域の6号線。浪江町双葉町大熊町
朝と夕方は工事や汚染対策等の業者車両で、車がひっきりなしに通るそう。
住民のほとんどが、汚染対策の方々や地震の関係で来られている方だそう。

 

この出来事、東日本大震災への怒りと自然の怖さ、
命の尊さ、確約されぬ未来。
数多くのことが、これから、永遠に、人々の心で生き続けますように。

 

黙祷。
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行った数日後に、帰還困難区域の一部解除がニュースに流れ
脳裏に、あのバスから見た光景が思い出されました。

 

震災ボランティアを通じて、
百聞は一見にしかず、のことわざが身に染みてわかり
より一層、青年海外協力隊を目指すようになった私。

 

3.11の震災 x 協力隊 x 二本松訓練所
私の人生の転機となりました。


では_(..)_